【まんが】小沢一郎の日本再造計画 / 原発事故収束編について、以下のコメントを頂きました。
from 対馬海峡
これは、漫画ではない。政治家の方を一方的に持つのは勝手だが、これがマス・メディアに出ていたら、いかに異様か、小澤を宗教の教祖に置き換えればすぐわかる。こういう漫画が太平洋戦争中に沢山描かれた。
原発広報誌にもこういう「啓蒙」漫画が沢山描かれた。その漫画家たちは戦後も、原発事故後も反省の弁は一切していない。このブログ内だけにとどめてほしい。
コメントへの返事はコメント欄でしましたので、コメントくださった方とのやりとりについては済んでいます。
ただ、せっかくの機会ですから政治家を題材にしたマンガを描くことについて、自分の考えを整理するべく、記事にしたいと思います。
コメントでは、私が描いた小沢さんマンガと、原発啓蒙漫画プルトくんや宗教の教祖よいしょ漫画、戦時中の戦意昂揚漫画と同じものとしているようですが、一つ大きな違いがあります。それらの漫画は権力を持っている側がお金を払って一定の検閲をした上で世に出ているものですが、これはそうでないということです。この漫画について、私は誰からもお金をもらっていませんし、自分の感じたことを自分の意志で描いています。自分の考えを表明することについて、それは文章であっても漫画であっても変わりません。
では、お金のやりとりがあったらどうなのか。私はそれも問題はないと考えます。お金をもらうことで自分の良心や考えを曲げて権力側におもねったものを描くならともかく、自分の考えで描くのならば良いと思います。
(権力とは何か、ということについて話しだすとまた長くなるのでここでは触れません)
自分の考えに基づいて描き、作品の主張が間違っていたことがわかった場合は、そのときに誤りを認め訂正すれば良いことです。どれが100%正しいか私にはわかりませんし、そもそも100%正しいことを漫画に求めるのには無理があります。
政治家を肯定する漫画がいけないという考えもあるのかもしれませんが、私がそこ乗っからなければいけないということもありません。
以上、私の考えを述べました。
今のところ、この件について議論するつもりはありません。
なぜなら、議論というのは互いに建設的な考えを導き出そうという合意がなければ、不毛で意味がないと考えるからです。