■翻弄されずに主体的に
「2010年をぐだぐだ振り返る」の記事で、「リテラシーが多少はついたのではないか」と書きました。
リテラシーの意味をgoo辞典で検索してみると、「メディアに対して主体性を確立すること。メディアが伝える価値観・イデオロギーなどを鵜呑みにせず、主体的に解読する力をつけること」だという。既存大手メディアに対してのリテラシーは以前から意識していたんだけど、ツイッターで出会う言論やそのほかのネットの言論に対しても意識するようになってきました。これも当然っちゃあ当然なのですが、ツイッターでこれはと思う言論人(有名無名問わず)をフォローしていくと、なかなか素晴らしい情報の集合体になるものですから、「自分が主体的に判断する」という姿勢をつい忘れてしまうんですよね(^o^;)
■無理しない、深刻に考えない
ツイッターでのユーザーさん達とのつき合い方。
今のところ、これが一番大事なんじゃないかなと思うのが「深刻に考えない」ということ。
ツイッターは技術的に行き違いが起こりやすいツールだし、人によってツイッターに対する考え方がものすごく違う。例えば、@にどれだけ返事を出すかとか。私の場合、何か言わねばと無理してリプライしたりするとたいていヘンなこと言ってヘコむことになるので、ユーザーさんに敬意をはらいつつ、無理しないで自分のペースでいることにしてます。
リムーブ・ブロックなんかの敷居も人それぞれ違うだろうからこれも深刻に考えない。私が使っているtweenは、最初は自分のことをフォローしてるかしてないかが露骨に色でわかる方式だったのですが、あまりこういうことを気にしたくないので、フォローしてくれている人もそうでない人も同じ表示になる設定にしています。
■対人スキルの低さを自覚して受け入れる
そう、私は空気が読めないんですよ。気の利いたことがいえないの。何かの集まりでアホなこと言って場を凍り付かせるなんて経験も数しれず。対人スキルが低い。だからもうね、自分自身でいるしかない。ヘンに好かれようとか欲を出さない。もちろん好かれたら嬉しいし嫌われたら悲しいけど、もうこういうのって自分が狙ってどうこうできることじゃないからあまり深く思い悩まないようにしてます。「自分がどう思われてるか」を深刻に考えすぎないこと。(ツイッターに限ったことじゃないですけどね)
■議論しない
人によってはツイッターを議論の場としても有効利用している人もいると思うのですが、私自身はツイッターは議論に向いていないと思ってます。また、これは蛇足ですが、「議論」自体についても懐疑的で、建設的な議論をするには、参加メンバーそれぞれがきちんと目的を共有していないと成り立たないのでは、なんて考えています。