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20101219 Sun
岩上安身氏によるジャーナリスト渡辺乾介氏インタビューを一部文字起こししてみました。(00:41:01)まで 

岩上安身氏によるジャーナリスト渡辺乾介氏インタビューを一部文字起こししてみました。(00:41:01)まで 

聞きながらつい文字起こししてしまいました。
※こちらのインタビュー、後にDVD化を検討されているとのことなので、文字起こしマズいようでしたら非表示にしますのでお知らせ下さい。


渡辺乾介(けんすけ)氏インタビュー


岩上:渡辺さんは長年週刊ポストで政界のレポートを書いてきた。とりわけ小沢一郎さんに食い込んだことでは右に出るものはない。マンガ「票田のトラクター」の原作でも知られています。ここのところ体調が悪く養生されていたそうですね。

渡辺さんには小沢さんの話、または小沢さんを軸とする政治の話。ここ25年くらいでしょうか。政治の歴史の流れをまとめてレクチャーしていただこうかと思っていました。

ちょうど大連立という話が出てきました。それは民主党の反小沢議員なのか、それともいわゆる小沢派の議員をまとめてなのか。身内同士でなぜそこまでと思うような急な動き。

このあたりのことは過去の政局を理解しないとなかなかわからない。そのあたりを渡辺さんに。小沢さんを軸に様々なプレイヤーが出てきます。

一番前に遡ると、小沢さんが政界の実力者として躍り出たのが89年。日本はバブル絶頂期・・また暗転するのですが。ベルリンの壁崩壊。歴史の大きな節目で自民党の幹事長になった。すぐに湾岸戦争が起こり、兵器調達。このときの小沢さん、大変な豪腕とか辣腕と言う伝説があります。

このあたりくらいから、渡辺さんは小沢さんを中心に政界をウォッチングされていたと思います。89~92年にかけて非自民連立政権が誕生する前夜。どんな状況だったでしょうか。


渡辺:89年のはじめに竹下内閣が予算成立で退陣(岩上:リクルート事件でですね)。その後、宇野総理。女性スキャンダルで騒がれた。小沢さんは竹下内閣の官房副長官。その年の7月に参院選挙があり自民党はボロ負けした。

その後海部総理。そこで小沢さんが当時46歳、自民党の歴史で最年少の官房長官。大抜擢の背景には金丸信さん、安倍晋太郎、渡辺美智雄がいた。永田町の中では若いけれども仕事ができるやつだという評価はあったが、政治的な手腕は全く未知数だった。その意味ではみなヒヤヒヤで懐疑的な雰囲気だった。その頃は私も注目すべき人物とは思わず、使い捨ての駒なのだと考えていた。自民党的な目先を変える程度のいつもの手だろうと。



岩上:小沢さんは精鋭が揃っている七奉行の一人といわれた。


渡辺:その頃はそういう言い方はないですよ。


岩上:なるほど


渡辺:小沢さんは今以上に深刻なねじれ、野党の圧倒的多数にあっていた。自民党はリクルート、宇野総理のスキャンダルでどん底。そういった中で小沢は登場します。誰しもがワンポイントリリース、1イニング投げればそれでいいやという役だと


岩上:ピンチのときと言うのは誰かが責任を担わされる。ある意味汚れ役みたいな。


渡辺:当時は自民党は派閥の全盛期。


岩上:派閥が一つの党のように。特に竹下派(経世会、田中派)は強い団結を誇り、別の規律があったといわれますね。


渡辺:小沢さんが幹事長になったときに、小泉純一郎さんは国対副委員長か何かで使いっぱしりしていたんだよ。


岩上:どうしてもこう先輩後輩みたいな、当時の序列が後々にまでね、影響したりするわけですね(笑)


渡辺:小沢さんが最初にやったのはね、茨木の補選。これが彼の初仕事。皆は、小沢さんがここでどの程度の力を発揮するのか見ていた。


岩上:選挙に強くなければ幹事長なんかやってたってしょうがないですものね。


渡辺:(小沢さんの)姿がね、ワープしたというか、いなくなっちゃったの。

岩上:陣頭指揮をとるはずなのに。


渡辺:どっかいってるんですよ。いってるんだけど見つからないの。


岩上:特に記者がまかれちゃうんですね。


渡辺:国会幹事長だから国会の大事なところには出てくる。そこで見つけるんだけど、それが終わるとまたどっかいっちゃう。


岩上:この頃からそういうことはやってたんですね


渡辺:大新聞の記者達にしてみれば、「よろしくお願いします」と這い蹲ってお願いするのが当たり前なのに


岩上:記者にしてみれば、政治家側がペコペコするのが当たり前なのに。これ一般の人は知らないんですよね(笑)どれだけ大新聞の記者が威張り、政治家が小さくなっているかを。


渡辺:その頃の政治記者なんて、みんなこんなして(椅子にふんぞり返るポーズ)いるわけですよ。国会議員が挨拶に来るとこんな感じで(ふんぞり返ったまま手を出して握手するポーズ)やるわけですよ。夜は夜で、番記者たちを料亭にみんな連れて・・・


岩上:たかりまくるわけですよ。記者クラブの記者が清廉潔白なんてほんとうにウソもウソ。もう毎日たかっていましたものね。


渡辺:特にリクルートがあり、宇野総理の女性スキャンダルがありメディアの方は笠にかけたよう。それをこの若い幹事長は、席を作ってよろしくよろしく言うのが当然だろうと思っていたらすっといなくなる(笑)


岩上:このころから記者クラブのたかり体質があり、偉そうにふんぞり返ってメチャクチャな記事を書くという状況。そこに手もみしながら機嫌をとる政治家。これが政治の状況なんですよ。政治のメディアの関係の現実。そんな中で小沢さんはおかしいと思っていたんですかね?


渡辺:おかしいとも言わないし、殊更不遜な態度をとるわけでもなし、ある意味では無視していたのかな。知らん顔してね、やることやってるんですよ。


岩上:仕事をやってる。けれども席を作っててもみしながら記者に勺をしたりなんてことはしない。これは例外的なことですよね?


渡辺:そう。


岩上:永田町と大マスコミの関係では


渡辺:「なんだアイツは生意気だ」ってことになるんですよ。そんなの一切構わずね、無視してんだね、あの人は。


岩上:メディアの小沢嫌いの淵源はこの辺りから?

渡辺:いや、そのころはまだ。だから記者会見を設定されれば、内閣記者会あるいは自民党平河クラブが出て行って話をする。茨木の補選は誰も勝ち目を予想できない。7月の参院選挙でベタ負けした後。また負けるだろうとみんな思ってる。結果を開けたら自民候補が大勝。それでこの若い幹事長に対して、党内もメディアも「ん?」と。


岩上:刮目して見る感じに。


渡辺:ところが小沢さんは「それは幹事長の仕事だから」と。小沢さんの選挙の力は、幹事長の前に自民党の総務局長だったとき。総務局長は選対本部長の手足となり実務をする仕事。これを小沢さんが40歳のときに抜擢。北から南まで走り回って候補者の発掘から手当てから何からやって・・・(小沢さんの選挙の力は)そのときに養った。


岩上:よく「角栄仕込み」という言い方をされます。角栄さんも選挙に非常に強い方だったですから。角栄さんの選挙の手法とか教えは小沢一郎と言う人に受け継がれてるものなのですか?


渡辺:40歳で総務局長になったときに思い出すのは、その頃の小沢さんと言うのは、角栄さんの秘蔵っ子としては知られてるんですよ。当時の田中派木曜クラブ(当時木曜に開催されていた派閥の総務会)で色々な情報交換をする。そこに出ないというのは、大学生が授業サボるなんてものじゃない。そこに出ないと、熱心じゃないということで選挙のときも手当てをはじめ全部削られる。あるいは制裁される。だから派閥の総務会というと国会の委員会どころじゃない、みんな出るんです。他の派閥もみな同じだった。そこで派閥の領袖の話を聞いて意思統一する。それを踏まえてそれぞれの役どころで動く。

ところが小沢さんは総務局長になったらあれほど一生懸命やってた派閥活動をやめてね、一切でないんですよ。羽田さんはまあまあ出る。小沢さんは一切でない。そこの違いを気がついたときに「おっ」と思ったんですね。興味と言えば初動期の興味ですよね。それで「ああ、あの人が幹事長か」と思ったんですよ。



岩上:派閥の会合に出ない。一匹狼ぽいなと。なのに角栄さんに可愛がられてると。一体この男の本心はと。その男はどういうふうに周囲を評価してるのか。気になりますよね。普通だとその派閥の中で地位を失っていくわけですよね。ところが、若手の中では実力者として地歩を固めて言って47歳で幹事長になる。このあたりの周囲との違いは?


渡辺:それはね、前提として、田中派は大平さんが倒れて、その後、鈴木善幸さんが総理大臣になった。この人もアメリカとの関係で総辞職することになった。


岩上:明らかにアメリカの圧力を受けて倒されますね


渡辺:その後、当時のキングメーカーの田中角栄は誰を置くか。田中角栄が支持すれば総理大臣になれる、しなければなれない、そんな中で田中角栄さんは中曽根康弘を指名した。するとそのときの田中派の総会。中曽根嫌いの人がいっぱいいるわけですよ。あいつだけはダメだという人が幹部クラスにたくさんいた。いくら田中角栄が指名したと言ってもこれは大変だろうなという総会のときに、金丸信が立ち上がって「会長が言ったんだ。何を君達は勝手なことをいってるんだ。親分が白と言ったら黒、黒と言ったら白だ、それがわからないんじゃ・・・


岩上:親分が黒と言ったら、白でも黒ということですね?


渡辺:あ、そうそう。「それが気に入らないヤツはここから出て行け」と。


岩上:これ有名な話ですよね。


渡辺:それで中曽根がシャンシャンになった。中曽根内閣が発足する。それで中曽根さんはだんだんだんだん力をつけて総理大臣になる。で、金丸信と竹下を取り込んで、田中角栄の影響力を殺いでいく。そのとき小沢は議院運営委員長。そこで政治とカネとか議員定数問題とかやらざるを得ない。それで中曽根さんと対立するわけですよ。定数削減選挙法案の改正案を議員立法でつくってもっていくんだけど、中曽根さんは、

総理大臣というのはなにを一番嫌うかというと、解散権を封じられることなんです。これが総理大臣の最大の権力ですから。選挙法の改正はそれが成立するまでは解散が出来ないことになる。そうすると中曽根さんはそれはイヤなんです。それで小沢がいくら説明に行っても首を縦に振らない。で、大喧嘩するわけですよ。その頃の中曽根さんの小沢に対する有名な言葉は「なんだあの少年探偵団のあの野郎は」(笑)



岩上:あのこまっしゃくれた少年の(笑)子ども扱いだったわけですね。


渡辺:その後の中曽根内閣の内閣改造で、金丸信が「小沢を自治大臣にしてくれ」っていったんだけども、頑として中曽根はうんと言わないんですよ。そうならば「オレは幹事長辞めるぞ」ってね。当然総理大臣が圧力をかけて、それで小沢が自治大臣になる。たった一回の大臣ですよ。そのときしか。


岩上:実は小沢さんはそのときしか閣僚経験がないんですね。


渡辺:そういういきさつがあったんですよ。・・・あ、ごめんなさい、それで幹事長になってね、


岩上:要するに、40歳のときに非常に変わった振舞をする、例会を無視する、だけど結局47歳で幹事長になる中に、政務を一生懸命やってた部分があるんですよね。


渡辺:その質問なんですよ。47歳くらいで、ただかわいいから幹事長にしたってことじゃない。どういう評価でなったかとうこと、それは無能ではできません。どんな人でも。評価の最大のポイントは、衆議院議員委員長、それから法務局長、一つ一つ派閥と言うか事実上派閥の親分で就任をするわけです。形上は党の総裁がですが、事実上は派閥の人事なんです。

自民党の歴史の中では当選2,3回くらいで色々な部会と言うのがあるわけですが、その部会長をやる、それから衆院の常任委員会の理事をやる・・そういうふうに「出世の階段」があるわけですよ。それをね、時々「オレはこんな委員会やだ」とか「こんな部会はやだ」とかゴネる人がいるわけですよ。

たった一人例外が、派閥の指示通りいわれたことを黙々とこなしていたのが小沢なんですよ。



岩上:なるほど、定例会には来ないくせに、そこだけ見ると派閥を軽視してるようですが、任務はこつこつこなしていた。


渡辺:そこに全力を投じてね、与えられた任務のプラス以上の結果を残す。それが彼のある種処世術とういか、やり方なんだね。


岩上:やり方、あるいは生き方


渡辺:だからなんで派閥の総会行かないかというと、自分が与えられたのは総務局長をこなすことだと。これは党の役職であって党の要職についたものは派閥に出るべきではないと。
岩上:さっきうっかり私、政務と言ってしまいましたが、むしろ「党務」をこなしてると。


渡辺:それが若いときから一貫してたんですね。だからたまたま当選三回くらいにも・・何回も会ってるんですよ、その頃は。私は小沢さんに特別な興味はなかったけれども会ってるんですよ。とにかくなんとか部会とか常任委員会の理事とか、これはどんなに与野党対立してもちゃんと職責を果たしてね。それがずーっとあってね、それが最大の評価なんですよ。与えられた仕事を文句を言わずに与えられた以上の結果を残す。これが彼の評価なんですよ。

有名な話ではあるけれども、これは竹下さんから私が直接聞いた話でね。官房長官になる、すると彼は最初に、これも世間をあっと言わせたのが、当時日米摩擦、貿易摩擦がものすごかったんですよ。アメリカの大建設会社・・日本でいうゼネコンが、日本に鉄道や橋や道路を作るのに参入させろと。日本側はイヤだと。それで衝突。どうにもならないときに、外務省も通産省も建設省もお手上げ。日米関係が極度に悪化したときに竹下さんがやった手は小沢さんを交渉役にしたこと。官房長官が外交交渉やるなんてのは初めてなんですよ。



岩上:官房副長官ですね。


渡辺:そう、副長官。それでアメリカに乗り込んでいって。で、いま自然な形で多くの方携帯やるじゃないですか。これも日米摩擦の最大のポイントなんです。モトローラって会社がね、日本に参入したいけど日本がね、日本はモトローラに電波は割り当てられないと。それで大変な問題になった。それで、その交渉、建設交渉、そういうのを全部小沢が二年ちょっと、一年ちょっとで片付けるわけですよ。


岩上:かなり豪腕な、タフネゴシエイターだったと。話がまとまらないと、立って席を蹴る場面もあったとか。・・・まあもちろんブラフなんでしょうけどね。でもそういうエピソードはよく聞きます。


渡辺:いま携帯は日本で全盛だけども、元をただすとそのときの小沢の日米合意の結果、こういう風になってるの。


岩上:一つ一つ流れがありますね(笑)そういうふうで、47歳で幹事長になりました。政治家としてそういう大きな地位を築いた小沢一郎という人が、たまたま時代もね、平凡な時代じゃなかった。日本史的にも転換期ですし、世界史的にもそうだった。バブルの崩壊。冷戦が終わりソ連も崩壊し、直後に湾岸戦争という、いまだに大きな影響を残す大戦争があった。

ここにアメリカが日本も協力しろと迫って、大変なお金、戦費を調達しろということを迫るわけですね。そこで小沢さんが動いて戦費調達の。このときを見ているとですね、小沢一郎という政治家は、アメリカのためにも・・アメリカのために動くといったら言い過ぎかもしれないけども、アメリカの意向を受けて日米安保の機軸にそって日本のお金をアメリカにささげることも厭わない政治家に見えたんですよね、当時は。イメージとだいぶかけ離れてるんですけども。これはどうだったんでしょう、本当の事実は。


渡辺:(小沢氏が)アメリカの交渉をやったでしょう、なぜ竹下さんが小沢を抜擢したかというと、竹下さんから直接聞いたことなんだけども「小沢一郎は言うことが全て文章になる」と。それでポイントなんですよ

。そういうことで先ほど言ったように、それぞれのヒエラルキーの中で、与えられた仕事を文句も言わず不平不満も言わずにこなして、そしてその評価のうえで次のポストを貰う、次の地位を作る。こういうことが、幹事長にいたるプロセス。それで幹事長になり、茨木の補選で買って実績を作った。

そのときに、彼は三つ面白いことをやってるんですよ。一つは、ねじれ国会でしょ。社会党から民社党から公明党から、野党の幹事長を、ベルリンの壁崩壊現場の視察に連れて行くわけですよ。



岩上:ほほう、89年10,11,12月、あのあたりに。


渡辺:そのときに、冷戦崩壊後の新しい日本はどうあるべきか。その人たちと徹底的にね、むこう(ベルリン)で議論するわけですよ。


岩上:私もベルリンの壁行きましたけども。・・そんなことしてたんですか。


渡辺:それがその後の小沢さんがねじれ国会をくぐり抜けるっていうかね、乗り切るね、それが一つのポイントなんですよ。みんなそれでね、若き自民党の幹事長を軸に老練な野党の幹事長あるいは書記長が目の色を変えた。


岩上:それまでの政治の枠組みが崩れるぞっていうのはありますよね。保守があって、革新があった。で、自由主義社会と共産主義陣営があった。こういう真っ二つに分かれていた陣営が、壁が崩壊することによってこれから変わる。違う政治の地図になりうる。


渡辺:まさに世界史が大きく転換する、その現場でね、政治の要にある人を全員連れてってそこで議論させたっていうのは・・・こどでなんですよ。僕が小沢さんに興味を持ったのは。面白いことをやるやつだと。


岩上:それを働きかけた、コーディネートしたのは小沢さんだったと。


渡辺:みんなを説得して連れて行くんですよ。ベルリンの壁崩壊を見たいってのもあったかもしれない。


岩上:興奮しますもんね(笑)


渡辺:党派を超えてね、それをうまく連れて行くんですよ。


岩上:血が沸き立ってね。それに旅先って人を開放するところがありますから。


渡辺:国会議員のいい加減な視察とは全然違ってたんだよ。それでね、みんな小沢っていう自民党の新しい幹事長の存在を野党にも全部認知させるわけですよ。


岩上:そういう一石二鳥山鳥の効果も考えてたんですね。


渡辺:そういう世界史の転換の中で、国内で小さなことで党派対立をしている場合じゃないと。もっと日本の国がどうなるか語ろうじゃないかと。と言って彼はみんなと話して。僕は向こうでもそれをやったと思うんだけども、帰ってきてね、政治改革を打ち出せるの。

それは、政治資金規正法の改正、政治とカネのスキャンダルが絶えないからこれを厳しくすると。同時に、諸悪の根源は中選挙区制という制度にあるから、これを小選挙区制にする、それが政治改革。それをやるんですよ。

やるときに、有名な後藤田さんとか伊藤正義さんとか大物たちが、ロッキード以降の政治腐敗をどうするかという議論をして、政治改革本部というのがあった。その党の幹部二人が若い幹事長を呼んで、「あなたたちの政治改革案なんていうのは屁でもない」屁でもないというのは言いすぎだけど、要するに枝葉末節なことだなんて言ってね、大幹部二人が小沢さんにこうやって(机をこぶしで叩くポーズ)起こるんですよ。そしたら小沢さんが「その言い方はなんだ」と。「金の使い方がどうだこうだって何回やっても小手先のことで国民を騙すことに過ぎないと。おおもとは選挙制度だと。政治の仕組をまず選挙制度から直さない限りどんな政治改革があるんだ」って小沢さんは二人とやりあうわけですよ。当然、説き伏せるわけ。



岩上:説明を加えると、かつては中選挙区だった。やや広い選挙区で、自民党からでも複数立てられたわけですね。すると当然、派閥単位で選挙を面倒見ますから、田中派が一人、福田派が一人などという立て方だって、まるで派閥が一つの党のようにぶつかりあい、激しい選挙を戦い抜くために資金が乱れ飛ぶとかいうようなことが、党の中でも選挙区の中でも行われたと。


渡辺:中選挙区制だから、一つの小選挙区と違って、一選挙区で最低でも二人、大きな選挙区だと四人とか五人とか出るわけですよ。当然自民党が二人とか三人たてる。一つの党で同じ党の候補者が争うわけで。したがって、そこで派閥ができて、派閥が面倒見るという仕組ができて、そして何か問題があると派閥解消とかいうんだけども。


岩上:口先だけでね(笑)


渡辺:そこで小沢さんは、そういう派閥があるということの温床も含め、派閥があるから不明朗な金の流れも生まれる或いは金がかかる政治になる、だから選挙制度を変えようと。というのが、彼が長い間暖めていた構想。それをね、ベルリンの壁崩壊で世界が変わる、日本も変わらなければいけない、まず政治の仕組を変えようと、そういうことでしょうと、それで説得されたんだね、野党の人たちも。それで帰ってきて野党も意外に小沢の政治改革論に賛成するんですよ。単純ではないけどね。

(00:41:01)

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