(うまく撮れなくて光ってしまいましたスミマセン)
BRUTUS「幻のヨコハマ」。横浜特集。一読した感じはなんだかお通夜みたい。故人を懐かしがっているみたいなトーン。その懐かしがっている故人というのは横浜の華やかなりし頃。
実は、その華やかなりし頃っていうのがいつなのかよくわからない。戦後占領されてたころとか?ハマトラとか聞いたことあるけど私がその言葉を知ったころは既に「昔流行ったもの」という存在だった。この雑誌が出てたころは、赤レンガ倉庫とか山手の洋館群は今みたいにキレイに整備されていなくて廃墟だった。何かの撮影場所としてはいいけど、観光地としては成立していなかった。
本牧がちょっとしたオサレな場所として名前が出たのは米軍住宅があって、フェンスの向こうに米軍用の住宅やスーパーが見られたということで、冷静に考えると情けないような気もするけど、でも昔の貧しい日本ではそれが眩しく見えたのは仕方のなかったことなんだろうな。
1984年ごろの本牧はマイカル本牧もなく・・・ってマイカル本牧でさえもう過去のものとなってるけど、米軍住宅が撤去された殺風景な空き地だったそう。みなとみらいのあたりも何もなくて、ある意味一番横浜が落ち込んでたときなんじゃないかと思うのですがどうでしょう?特集全体で昔の横浜に活気があった頃をひたすら懐かしがってる。
ギリシャ料理スパルタが載ってた。伊勢佐木町と並行してある鎌倉街道沿いにあって2回くらい行ったことある。よく前を通りながらいつかいってみたいなと思ってた。2回目に行った時はたしか職場の忘年会か何かの会場にしたんだった。それももうなくなったんだけど。この通りは他にも色々とおもしろそうなお店が点在してたのに現在はすっかり風俗通りになってる。
記事によると伊勢佐木町にギリシャ人向けの店がやたら多かったのは、当時の船でギリシャ人船員は最下級クルーだったため、イギリス人・アメリカ人船員のいるバーへは行けず、ギリシャ人専門の店へ行った。で、そういうお店が伊勢佐木町の裏通りの通称「親不孝通り」という場所にたくさんあったんだって。なんかこれまた悲しげなエピソードですな。
珈琲屋も載ってた。馬車道の入り口にあって、小学生のときに一回だけ親に連れて行ってもらった。お店は古かったけど小学生なりにオサレなお店だっていうのは理解できた。大人になったらまた来たいなとか思ってたらそれももうなくなってた。