このまえメガネを作りに行って視力をはかってもらったときに「視力は目のレンズの問題なのか、それとも脳の解釈の問題なのか」という疑問がふと湧きました。そんな私の疑問にぴったり答えてくれる本を発見!
それがこの正面を向いた鳥の絵が描けますか? (講談社+α新書)。
目で見ることや視力に関する興味深いことが色々書いてあるのですが、中でも私が「なるほど」と思ったところを抜粋。
脳は世界を作り出す。私たちの見ている世界それは外界をそのままきれいに写し取っているものではない。私たちは外界をコピーするかのように見ているわけではない。私たちが目の前のものを見るとき、それは「目」だけで見ているわけではない。
「幽霊」や「オーラ」を見てしまうのは行き過ぎだが「見えないものを見る」ことこそが、ヒトの脳が作り出す究極の能力なのである。
私たちの見ているこの世界は、そこにあるがままの世界というよりは、それぞれのイマジネーションが投影されたものなのである。思考や記憶どころか、今目の前に見ている「世界」までもが、なんと脳の産物なのである。この世界で私たちが感じていること、見ること、聞くこと、触ること・・・そのすべては脳で作られるのだ。
たとえば、りんごを見て、りんごをすりおろしてもらったことを思い出すと、あのときは風邪をひいていたな・・・と、ついその思い出にひたってしまうようなことだ。すると、目の前にあるりんごはどうでもよくなり、あの時のりんごと今のりんごも、どちらも同じりんごということになる。こうなると目の前にあるりんごは単なる「りんご一般」にすぎなくなるわけで、それが熟しているかどうか、どんな赤味の色なのか
茎の部分が腐っていないか、虫が食ってないか・・・しっかり観察することはしなくなるのだ。
私たちは目の前の世界を見るとき、「りんごとはこんなもの」と、「自分の経験による味付け」をしてしまう傾向がある。自分の過去の記憶にひっぱられすぎると、目は曇る。頭でっかちになって、素直に世界をそのままに見ることができなくなる。
なんかわかる・・・。
「自分のイマジネーションを勝手に投影し始める」というのは、目で見えるものに限らず耳で聞くときもそうですよね。たとえば人の話を聞くときもちゃんと聞かないで、すぐに過去の記憶と結びつけて好き勝手に解釈し始めたり。
でもこういうこと聞くと希望も出てきます。
ちゃんとあるがままを見るようにしようと、曇った目を磨けば今までと違った世界が開けてくるんじゃないかなって。