まんがイラスト ぼうごなつこのページ

まんがイラスト ぼうごなつこのページ

カレンダー(月別)

10 ≪│2017/11│≫ 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

プロフィール

なすこ

Author:なすこ
まんが・イラスト描いてます
横浜市在住
http://www.bougo.com/
MAIL bogo@trialmall.com
http://twitter.com/nasukoB

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
ブログ内検索

RSSフィード
ブロとも申請フォーム
20110825 Thu
ニコ生岡田斗司夫ゼミ(2011年8月1日) 現代アートの光と影 

ニコ生岡田斗司夫ゼミ(2011年8月1日) 現代アートの光と影 

今月始めに放送された岡田斗司夫さんのニコ生で、現代アートの光と影について話していた部分の文字起こしです。

光と影と言いつつ、ここでは主に影の部分についての話です。
光の部分である、「こんな美しい、だから素晴らしい、時代によってこれしか生まれないっていうようなもの」というものがないのが現代アートの不幸であると。

私の考えは、アートの光の部分すなわち、アートの素晴らしさというのは、それぞれの作品の魅力にかかってるんじゃないかなあと思ってます。だから、逆に言うと、これ先日のブログの繰り返しになっちゃうけど、作品の魅力で観客を納得させられないと、以下に岡田さんが語っているような現代アートの存在基盤の弱さが露呈してしまうのではないかな。

私自身は、現代アートを見るのが好きです。でも、現代アートについて、例えばどんな作家がいて、どんな流れがあってとか、そういった詳しい教養はありません。むしろ、そういった知識というか先入観があまりないまま作品をみたいなと思っています。それで、心に響く素晴らしい作品があったら、そこで初めて作者の主張とか背景とかを知って、より深く味わいたい。さきに説明を頭に入れて鑑賞する作品というのは、個人的な考えでは本末転倒な気がしています。


というわけで、以下、岡田さんのお話です。

------------------------------------------------

コメント:カオスラウンジ聞きたいな。

岡田:ああ、カオスラウンジ問題。
カオスラウンジ問題オレ詳しくないよ。カオスラウンジっていうのは何かっていうと・・・さて、みんな、補足があったらコメント欄で補足してくれ。

僕が知ってる限り、pxivっていう絵を投稿するサイトがあるんだよな。そこに投稿された芸術家の人たちの芸術作品。それが他人の作品をコラージュして、つまり、切った貼ったして出した作品なんだ。

で、現代アートとして、その手法はアリなんだけれども、ところが一方で、同人がそれやったら怒られるわけじゃん。他人の絵を切った貼ったってして自分の作品ですって言ったら。同人作家っていうのは怒られる、わけだよな。パロディだとか言って、コミケでもそんなの売ったら怒られるわけだよ。

で、芸術家がやったら、それでいいのか、とか、なんでそのID削除しないんだ、とか、いろんな問題になってる、そうだ。この理解って正しいか?ごめん、ほんとにオレ、よく知らないんだけども。

で、なんでこんなこと起こるのかというと、みんなアート、芸術を過大評価しすぎてるんだ。S田さん含めて。S田さんね、現代アートとかをニコ生でやりたいって言ってるんだけども、(立ち上がって)大間違い!

現代アートとか芸術って言うのは、商業芸術とかアニメより以下の存在なんだよ。えーとね、なんだろうな、昔は、絵を描く人が少なかった、うまい絵を描く人が少なかった。だから、アートに価値があったんだ。

でも、これ村上隆自体がはっきり言っている。アートの定義は何か、芸術大学を出てることです、っていうふうに彼いってるじゃん。その辺ね、みんな村上隆のことを嫌な奴とか、言ってるかも思ってるかもわかんない。で、それは嫌なヤツかもわかんないけど、本当のことしか言わないんだよ。ものすごい正直すぎて嫌なことしか言わないんだよ。

で、彼が言うとおり、アートの定義は何か、芸術大学を出てること。そしてできれば論文を描いてること。なんでかっていうと、現代のアートっていうのは、これがアートですって説明可能なのがアート、なんだよ。それが現代アートの定義なの。

そんなのアートじゃない、アートっていうのはもっと美しいものだとか、もっといいものだと。いや、美しいものとかいいものっていうのは別にそこらへんの雑誌に載ってるイラストとかライトノベルの表紙でも十分イイ!じゃん。

え、あれが芸術なんですか?って、当たり前じゃん、あれがだよ。あれが芸術の本質だよ。昔はそんなものが滅多になかったんだよ。そして、それが保存されることが滅多になかった。だって、複製技術なかったんだよ。つい100年とか150年前まで複製技術ってのがなかったから、美しい絵っていうものの、必要十分な複製っていうのがみんな取れなかったんだよ。そこに行かなければ見れなかった。で、印刷というのもあったんだけど、すごい粗末なものだったんだ。今のように実用品としてほぼ耐えれるような印刷ではなかったんだ。だから芸術っていうものに価値があった。美しい絵っていうものに価値があった。

でも、写真っていうものが出てきてしまって、芸術家の心がみんなポキって折れた時代があって、いや、写真みたいな絵じゃなくて俺たちは目に映ってる心に映ってるそういうものを描くんだーって印象派みたいなのが出てきて、なんとかもう一回盛り上げたんだけども、ところがその後で、なんだろ、ポップアートって言うのかな、商業アート、イラスト、とかそういうものが出てきて、アートっていうものの意味がわかんなくなった。

そこで、出てきたのが、現代アートというやつだ。
現代アートってのは何かっていうと、なんだろ、これはアートですっていうふうに説明可能なものが現代アート、なことで、それは投資の対象でありってことなんだ。

つまり、現代アートとかつての芸術との差ってのは何かっていうと、かつての芸術っていうのは、美しいもの、時代を超えて残るもの。残るってのは何かっていうと、具体的に、火事があったり地震があったり戦争があったりしちゃ焼けてなくなっちゃったりするんだからね。芸術ってのは失われるわけなんだ。でも、今はスキャンして残してネットのどこかに残ってたり、複製されて印刷されて誰かの家に残っていたりする可能性が高いわけだ。

だからいま芸術ってものの価値は実は無いんだよ。ほんとは無いので当たり前なんだ。でも、そういうことでは、芸術家という人たちの食い扶持ができなくなる。そして、画商という人たちが生きていけなくなる。そして、同時に作品というものが発表できなくなってしまうので、現代アートという概念をとりあえず作って、そして、ハイソサエティな人たちの間で維持していこうというのが、現代アートの一方の本質な。

オレ、これ言ってるのは、現代アートの光と影で言ったら、影の部分なんだ。

で、光の部分ってのは何かっていうと、これがさあ、はっきり言えないのが現代アートの不幸なんだよ。

現代アートっていうのは、影の部分で言えば、しょせんあれは金持ちのユダヤ人たちの投機対象だとか、あとなんだろうな、新興な(?)金持ちになった人が、自分が買ったものをリビングに置いておいて、周りの人におおーと言わせて、1億で買ったものが将来確実に3億になるっていう、投機対象として優秀なもの。それが現代アートの影なんだけどさ。

現代アートの光である、こんな美しい、だから素晴らしい、時代によってこれしか生まれないっていうようなものって、ないんだよ。はっきり言って。

この50年で考えたら、俺たちはアートとして素晴らしいものじゃなくて、ただ単に大衆文化として素晴らしいもの、いっぱい指折って数えれるんだ。それは、「風と共に去りぬ」っていう映画であったり、エヴァンゲリオンであったりさ、あとなんだろな、一世を風靡した天野喜孝のイラストであったり、そういうイラストとか、あと、マリオの動きもそうだよな。あと「ゼルダの伝説」が出てきたときの感じとか、ドラクエという概念そのもの、そこに出てくるウィンドウというものとか、全てすごいじゃん。

あれらが全て本当はアートの本質、であり、美とか革命性の本質なんだけども、それをやってしまったら、遂にアートは大衆レベルに落ちてしまうから、それじゃあないでしょ、なんだろ、博物館とか美術館とか作って、アートっていうものを保存して、そん中で名前を残さなきゃいけないっていうような、影の部分が現代アートに流れてる。でも、光の部分の、だからアートは素晴らしいんだっていう圧倒的なものが、言えない、見つからないんだよ。

で、村上隆っていうのは、何十年かぶりに日本人が、だから日本人もアートいけるんですよって出した必殺兵器なんだけどさ、なんかそれも・・・なんだろうな、合わせ技?なんか日本の、かわいい文化、アニメ、キティちゃん、そこら辺全部合体させて、これら全部混ぜて、村上隆っていう一つの象徴にしましたんでここんとこでどうぞよろしくっていう(笑)合わせ技でいってんだけどさ、それ以上でもそれ以下でもない。

だから、なんだろうな・・・正直、今の、現代アートの人たちっていうのは、現代アートでありながらすっごい不安だと思うよ。不安だから今の現代アートの作家たちって多作なんだ。昔のように自分の作風が確立したら、じゃあ少しずつ作っていって、ではなく、自分の作品がほんとに残るかどうかわかんない。自分の作品が本当に、トランスフォーマー3とか、エヴァンゲリオンとか、まどかマギカに比べて、優れてるかどうか、自信がないというか、ぶっちゃけ劣等感があるから、だから多作にならざるを得ない。そして、世界の問題にコミットしてる、人権問題にコミットしてる、男女問題にコミットしてる、っていうのは、そういう大きいテーマを扱わないと、もうアート、っていうふうなものが出せなくなっちゃった。なんか朝生ででっかいこと言わないと、なんか世界に対してもの申してる気がしないっていう・・・なんかね、男性原理みたいなもので既に動いちゃってるんだよな。そこら辺がアートのね、気の毒なところではあると思うんだよな。

だから、なんだろな・・・うーん、アートの可能性な・・・なんか、俺あの、あんまりそこら辺は諦めてやった方がいいと思うんだけどな。アートって、もう終わってしまった世界なんだよな。で、投資対象として、昔の作品に対してお金だしたり、既に価値があるものについて、お金出して保存するってことに対して、あんまり反対はしないんだけども、それ以上のもの求めない方がいいんじゃないかな。



スポンサーサイト

TrackBack

http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/tb.php/1006-5bdf0e06

広告: