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なすこ

Author:なすこ
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横浜市在住
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20111028 Fri
悟りと煩悩の両立。自意識過剰もまた良し 

悟りと煩悩の両立。自意識過剰もまた良し 

「いまに在ること」
「行為に没頭する忘我の境地」
「自分のアイデンティティをちっぽけな自己像ではなく、大いなる存在に置くこと」
という状態が常態になることを目指してきました。一時期、ある程度うまく行ったこともあります。こういうのを悟りと言えばそうなるのでしょうか。

逆に、そうでない状態。
自意識があって、その自意識をベースに色々なことをアレコレと考えている状態。さきほど記したのが悟りだったら、こちらは煩悩でいっぱいな状態と言えます。

これがあらゆる苦しみを生み出す原因だという。
自分の自己イメージを必死で守ろうとする苦しさや、自己イメージが危機に陥ったときの激しい自己嫌悪などを思い起こすと、確かにそうです。

数年前、精神的に調子が悪かったとき、セルフヘルプ系の本を漁ったりフラワーエッセンスを試したり色々なことをやってみました(精神科には一回だけ行きました。ウツ症状という診断を受けメイラックスをもらいました)。その中で、一番効果を実感して、症状が落ち着いた以降も続いているのは、上に書いたエックハルト・トールの考え方です。もともとはブッダが提唱していたことらしいです。

私がそれをどんなふうに試していたかというと、例えば
・今自分がしている一つ一つの動作をちゃんと意識して、行為に没頭するよう心がける。
・いつも自分の身体に意識を置くようにする(地に足がつくという感覚とリンクしている気がする)。
・自意識を手放す。そうすると、余裕ができてくるというか、否定されて激しく落ち込むとか、褒められて舞い上がるみたいなことがなくなる。いわば、自分を評価されることに鈍感になる。

こんな感じで、それはある程度成功しました。
ただ、そうなると、そのままでわりと幸せなので、あまり何かを表現しようという意欲が湧いてこなくなるんですよね(私は何かを表現するときに不満や違和感を原動力にしていたということがわかったわけですが…)。そして、あれこれ考え事をしなくなるから、あまり言葉が出て来なくなる。

エックハルト・トール曰く、そういう状態であるほうがむしろ天啓のように適切な言葉が出てくるということなので、私が「いま」への留まり方が足りないということも考えられますが。

それから、やっぱり自意識を手放すのは淋しいのだということに気がつきました。自分という存在、自分が思い描く「ぼうごなつこ(含:なすこ、@nasukoB、防後奈津子)」という自己像が肯定されることの喜びは、やっぱり人生に必要だと改めて思います。これがなかったらつまらない。

というわけで、最近、煩悩の再評価をしています。ただ、ここで大事なのは、「どちらか」ではなく「どちらも」ということ。悟りの状態が人生に不可欠であることには変わりありません。私は生活の中で、意識して両方を交互に取り入れていきたいです。

今まで、エックハルト・トールの考えを実行しようとして成功したり違和感を感じたり、ツイートして心に染み込ませてきたりと、散々取り組んできましたが、ようやく自分の中で消化できたような気がします。全部消化したわけではないけど、少なくとも、鵜呑み段階から、一段進むことができました。

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20111023 Sun
「武器としての決断思考」世間の状況が変わっても逞しく生き抜く術 

「武器としての決断思考」世間の状況が変わっても逞しく生き抜く術 

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主にIT技術の発達という要因により、状況がめまぐるしく変わっていく現代社会では、専門的な知識や技能を身につけても、その業界、その仕事自体がなくなってしまうリスクがありますが、「考え方」自体をなんとかすればオールマイティに生きていかれます。

20111019 Wed
オタキングexとクラウドシティから考える、ネット時代の出会い 

オタキングexとクラウドシティから考える、ネット時代の出会い 

岡田斗司夫さんの去年の3月に講演していた動画をみました。
評価主義経済の話の後、「これは理屈に裏付けられたものではなく、空想の話です」と前置きした後で、評価主義経済の次は「家」の時代になるのではないか、ということを言っていました。

評価経済主義、要するに人気があって目立つ人の下に富が集まる、という社会の在り方はしんどくもある。みな、自分の居場所や心の拠り所を求める、そうなったときに新しい形態の家族が存在感を増すのではないかと(私はなんとなくギークハウスプロジェクトなんかを思い浮かべながら聞いていました)。

そして話はオタキングexの話に。オタキングexとは、岡田さんの「会社」で、「社員」は社長に年間12万円の給料を支払って一緒に仕事をします。既存の言葉でいうと、岡田さんの後援会に入ってパトロン兼ボランティア的活動をするといったところでしょうか。OJTのように仕事を通して学び合うという面もあるそうです。まあ、大まかに同じ目的を共有した上で、どう生かすかはその人次第です。

このように、オタキングexは岡田さんの考え方を普及させる仕事を一緒にやる仲間ですが、そういった目的を共有する仕事仲間というだけでなく、「家族」でもあるそうです。岡田さんが話していた、評価経済主義の次にやってくる「家」時代の新しい家族形態ということなのでしょう。家族だから、仕事をしない人がいてもいい。家族だから名前で呼び合い、互いを否定せず無条件に肯定しあう。従来の理屈っぽいオタク的な集まりに、ヤンキー的な「情」の価値観を取り入れたそう。岡田さん曰く、オタキングexは、日本の二大文化であるオタクとヤンキーの融合だそうです。なかなか面白い試みですね。

・・・と、こうなると岡田斗司夫ファンとしては入りたくなりそうだけど、実のところ、オタキングexもクラウドシティもいまいち入ろうという気が起きないんだよなあ。ちなみに、クラウドシティとは、岡田さんの考えに共鳴した人が集まる有料のmixiみたいなところです。

なぜ入る気が起こらないかというと、とりあえず有料なのは問題ではないです。メリットがあると思ったら有料でも入ります。では何が理由なのか。だって岡田さんの考えに共鳴した人たちが集まるグループなんだから、さぞ素晴らしい出会いがあるに違いない ― そう、そこなんです。私の少ない経験を思い返すと、はちきれんばかりに期待感を抱いて入るコミュニティでは、なぜかあまり出会いを得たことがないんですよね。おそらくこの「はちきれんばかりの期待感」が何かしらエラーをおこしているんだと思います。

それから、カリスマ的な中心人物の下に皆で集まるというのがおもしろくない気持ちもあるのかもしれません。

岡田さんがどうこうというわけじゃなく、こういう強力な中心人物の下に人が集まるというと、だいたい似たような人間関係のパターンが展開されます。今の私にとって、それはあまり魅力的に見えないんですね。

ネットでの出会いというと、むしろツイッターやブログを通してやりとりしているうちになんとなく接点が出来て、という方が、継続性があり実りある関係に繋がっている実感を持っています。

というわけで、私は岡田さんの考え方のOSは学んでいきますが、オタキングexやクラウドシティへ入ることについては保留し、わたし独自でやっていこうと思います。けれども、オタキングexやクラウドシティには敬意を持っています。皆さんのおかげで岡田さんの著作や動画が楽しめるのですから。そして、岡田さんにはこれからもずっと元気で楽しいお話を聞かせて欲しいので、捻出できる状況になったら私も12万円を提供してみたいです。

20111016 Sun
まんがで説明・陸山会事件「お天道さまがみてる」改訂版 

まんがで説明・陸山会事件「お天道さまがみてる」改訂版 

先日アップしたものの、セリフを一部改良しましたので再度掲載。

送信者 お天道様がみてる改訂版

送信者 お天道様がみてる改訂版

送信者 お天道様がみてる改訂版

20111015 Sat
おねがいテーミス「まてまてベルギーチョコ」メイキング 

おねがいテーミス「まてまてベルギーチョコ」メイキング 






先日、藤子不二雄ミュージアムに行ったときに、藤本先生の生原稿やスケッチが展示されているのに触発されて、下書き載せてみることにしました。…って、藤本先生だから下書き公開に価値があるのですが。でも、私だったら、他の人のアイデアノートとか見させてもらうのはわりと好きなので、自分のも載せてみました。

送信者 2011年10月14日

送信者 2011年10月14日

送信者 2011年10月14日

送信者 2011年10月14日

送信者 2011年10月14日



20111007 Fri
マンガで説明・陸山会事件「お天道様がみてる」 

マンガで説明・陸山会事件「お天道様がみてる」 

10/2の小沢さんと市民座談会でご本人が話していたことをもとにマンガを描いてみました。

送信者 お天道様がみている


送信者 お天道様がみている


送信者 お天道様がみている

20111007 Fri
機械化しても現場の負担がなくならない理由 

機械化しても現場の負担がなくならない理由 

今の仕事をする前に港湾関係の会社で事務の仕事をしていました。(前の仕事と今の仕事の間にニート期間あり)

昔は人の力に頼るところも多かった港湾荷役ですが、現在はすっかり機械化、コンテナ化されています。

機械化が進んで、さぞ作業もスイスイ効率化されただろうと思いきや、現場の状況ってけっこうひどいんですよね。

慢性的に壊れたクレーンや変にクセのついたトレーラーを、だましだまし運転していたりする。

本来の操作をしてもまともに動かないので、妙なコツとか職人技を発揮しなければならず、無駄に消耗する。

荷物を運ぶ動線の設計がおかしいので、トレーラーとクレーンがぶつかりそうになったりする。

一応、機械のメンテナンス係が待機しているものの、応急処置しかできないので、根本的な解決にはならない。

この業界はわりと管理職と現場労働者が断絶しているので、事故が起こっても管理職サイドに原因が理解できない。自分が乗るわけじゃないので、何かあっても毎回「スピードの出しすぎだろう」「何か運転をミスしたんだろう」ということで片付けるから一向に改善されない。現場と管理職の間の不信感がますます広がる。

という感じでした。

ポイントは、機械化したとても、その機械がちゃんと動くのかがわからないということ。こんなふうに、機能しない機械をなだめすかして使っているところ多そうですよね。

こういうところ、他にもたくさんあるのではないでしょうか。
私は原子力発電所はきっとこんな感じなのではないかと思っているのですがどうでしょう。
「原発労働記」を読むと、実際に現場に入る下請け業者及び日雇い労働者と電力会社の間こそ断絶して、まともな協力関係があるとは思えませんでしたし、メンテナンスも素人の日雇い労働者任せでしたし。

20111006 Thu
中途半端な私のアイデンティティはなんだ? 

中途半端な私のアイデンティティはなんだ? 

私は通販会社の業務をしながら、まんがやイラストを描いています。

まんがといっても、何かの雑誌に連載しているとかでもないし、コンスタントに仕事があるということでもないのということで、まんが家、イラストレーターと名乗るのは躊躇します。かといって通販の仕事は自分の業務さえすればあとは自由というゆるい職場で(そこが気に入っているところです)、そんなに主体的に関わっているという感じでもないので「これが私の職業です」というのもピンとこないし、結婚してないので主婦ということでもない。

1、2年前までは、そこが悩みどころでした。

いい年して何の肩書きもないのってどうなんだろうなと。みな中途半端な感じ。何かこう社会的なアイデンティティが欲しいなと。でも、それは、よくわからない世間というところに自分を当てはめたらどんな位置にいるんだろうとか、自己紹介なんかのときにカッコイイこと言いたいな、などという理由から来るものでした。

で、そういう「外から自分はどう見られるか」というのは置いといて、「私自身は一体どういう人生を送りたいのか」で考えてみたら、「いろんなおもしろいことをやって楽しく生きる」という、なんだかふざけたものに行き着きました。長期的で大きな目標を立てて何かを成し遂げるよりも、そのときそのときの目の前にあるおもしろいことに全力で取り組んでいくうちに、なんか思わぬところにたどり着いちゃった、みたいなのが理想。

でもこれ、これからの時代にフィットした考えかもしれません。

おそらく今後は、専業で「私の職業はこれです」ということはなくなっていくのではないでしょうか。
だって、マンガ家や作家目指すといったって、雑誌が売れない本が売れないと言ってるのですから、従来型のマンガ家や作家なんて無理に決まってるじゃないですか。他の業界の事はあまり知りませんが、似たような状況のところはたくさんありそうですよね。

これは神田正典さんの「マーケットで価値観が変わる」という言葉にも当てはまりそうですよね。何かの資格を取ったとして、その業界自体が沈みゆく過程にあったり、慢性的に人余りだったら、もう個人のスキルみたいな問題ではなくなる。

あとは、もちろん岡田斗司夫さんの最近の「働かなくていい10の理由」系の話や、評価経済社会の影響もすごく受けています。というか、岡田さんに出会ってなかったらこの記事書いてないかも。

20111004 Tue
「日本を語ろうー フツーの市民vs小沢一郎vol.2」 

「日本を語ろうー フツーの市民vs小沢一郎vol.2」 









Video streaming by Ustream

「ネットメディアと主権在民を考える会」主催の、小沢一郎さんの市民座談会に行ってきました。

私は、前回のときみたいに、座談会の内容をまとめて漫画にするという役割を期待されて呼ばれました。

私の立ち位置をちょっと説明しますと、昨年、岩上安身さんの取材の様子を取材してマンガに描くことをしていたら、政治とか社会問題系のことしている方たちから声をかけてもらうことが多くなりまして、私ももともと関心があった分野なので、タイミングが合ったらこうやってちょこちょこと取材に行っているというわけです。

小沢さんの言っていることも聞いてみて納得しました。私は小沢さんに関しては、にわかライト支持者にだいぶミーハーが入ってるみたいな感じでしょうか。

そういえば、今回、司会者の山崎さんが「フツーの市民」についてつっこまれていたことへのコメントしてましたね。前回と同様、今回もニコ生のコメントで「フツーの市民ってなんだよw」と突っ込まれていましたが、ここで言うのフツーの市民の定義とは「自分で生活をして特権利権とは関係なく生きている人」ということだそうです。

あと、「前回、司会者が長いとお叱りを受けまして」と仰っていたのもおもしろかったです。ちゃんとわかってらっしゃるのねと。 でも今回も司会者特権発動されていますw

この日に印象に残った話をいくつか書こうと思ったのですが、眠くなってきたのでとりあえず寝ます。
また後で何か付け加えるかもしれないし、このまま漫画描き始めるかもしれません。



20111001 Sat
ソープランド従業員のボーリング大会で、職業に貴賤なしを実感した話。思い出話も少々 

ソープランド従業員のボーリング大会で、職業に貴賤なしを実感した話。思い出話も少々 

友人から聞いた話。

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今から20年前、川崎のボーリング場でバイトしているときのこと。

川崎には堀の内と呼ばれる、東京で言えば吉原のようなソープ街がある。

そのボーリング場(数年前に閉店)では、数ヶ月に一回ほど、堀の内にある某ソープランドの従業員の慰安ボーリング大会が開かれていた。

ソープランドの従業員といっても「よくお客さんがつくな」と思うような女性ばっかりで、バイトはみんなで怪物ランドと陰口を叩いたり、猪木とかアゴ勇とかあだ名をつけていた。

ある日、その「怪物ランド」の中に、地味な年配の人がまざってプレーしていた。

従業員といっても事務員か何かだろうと思っていたら「アゴ勇」が近づいてきて「あの人、現役よ」と耳打ちした。

事務員さんに見えた女性は中学生ぐらいの子どもをつれてきていた。

まじめそうな感じの子で、その親子の様子をみたとき、あだ名をつけて嘲っていたことに初めて心苦しさを感じた。あだ名をつけるなんてよくないことだと思った。

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このお話を聞いて、今まで私にとって表面的な言葉でしかなかった「職業に貴賎なし」が実感できました。

この話は友人から聞いたものだし、そのボーリング大会に連れてきてもらっていた中学生の子の状況や考えていることは私にはわからないわけだけど、そのお母さんにあだ名をつけて嘲ることが、ささやかな親子の生活や幸せを踏みにじることに繋がる気がしました。

単身者だって職業でバカにしていけないことは同じなんだけど、こういう、その仕事の先に家族がいるんだということを目の当たりにすると、人の仕事を嘲ることの罪深さを実感します。

こんな話を書いてたら、私が小学1,2年生の頃、同級生の男の子に、私の父の仕事(鳶職)をよくバカにされていたことを思い出しました。仕事をバカにするといっても、小学生で鳶職という職業自体はよくわかっておらず、なんとなく肉体労働というものをバカにしたかったようでした。その子は、私の祖母が高血圧のクスリをもらいに行く医者の息子だったのですが、今思えば親が言っていたことをそのまま言っていたんでしょうね。

情けないことに当時はその同級生の言うことを真に受けて、医者の方が偉くて鳶職は偉くない仕事だと思ってしまっていましたが、今の私は「そうじゃないんだ」って体の底から理解できます。様々な仕事をしている人に支えられて、現代のこの便利な生活は成り立っているんです。(ちょいちょい忘れちゃうけど!)

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